ごあいさつ
本日、衆議院が解散しました。2014年12月の初当選から2年と9ヵ月が経ちました。これまでの出来事や活動などを振り返りながら、私の実現したい政策課題についての考えをお伝えしたいと思います。
2015年|すべての子どもたちが、自己肯定感を育める社会に
まさに「ひよっこ」議員で勝手がわからず戸惑うことばかりでした。国会内でも迷子になったり、道を間違えたりしました。税調や部会で、無邪気に発言して凄まじい反撃にあったりしました(それは今でもやらかします)。第189回通常国会は「安保法案」の審議をめぐって、戦後最長の延長国会となりました。同法の成立により、自衛隊の皆さまがより安全に職務を果たしやすくなったと聞きます。
初めての質問は厚生労働委員会、4月に「持続可能な医療保険制度を構築するための国民健康保険法等の一部を改正する法律案」について参考人質問をしました。大変緊張し、読み上げるのが精一杯でした。「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律案」は一部の野党の激しい抵抗により、採決の日に委員長が首を痛めるなど、平和安全法制同様、大変揉めた法案のひとつです。「弱者いじめ」と単一的にレッテル貼りをする勢力に違和感を覚えました。再び質問の機会をいただいたとき、看護師を目指して学費を貯めるために派遣社員として働いた経験をもとに「決まった時間に帰宅できる働き方は、子育て中の私には都合がよかった」と添えました。
土日や閉会中は、全国各県の看護連盟や医療系学会などの研修やシンポジウムで講演したりしました。また自分でテーマを決めて視察にも行きました。子ども食堂、乳児院、児童養護施設、児童相談所、性暴力・性被害支援センター、少年院、厚生保護施設、女子刑務所、日本版CCRC、等々。この間、強く感じたのは、幼児期の愛着形成の大切さ、「自分がこの世に生まれてきたことは、めでたく正しいことだ」と思える自己肯定感を幼少期に育むことが、その後の人間形成にどれだけ多大な影響を及ぼすかをあらためて認識しました。日本に生まれたすべての子どもたちが、どんな家庭環境であろうとも、大人と社会を信頼して、すくすく成長していける社会にしたい。その思いを強く持ちました。それが「民間あっせん機関による養子縁組のあっせんに係る児童の保護等に関する法律案」の提出につながります。
超党派「永田町子ども会議」では障害児保育施設を視察。障害者総合支援法改正で医療的ケア児が初めて定義されることとなりました。
2016年|再チャレンジ可能な社会を
2月「保育園に落ちた」で始まるブログが国会で取り上げられ、社会問題となる中で、稲田朋美政調会長の直下で「待機児童問題等緊急対策特命チーム」が結成されました。私が座長になり、3月25日に安倍総理に緊急提言書を手渡しました。この提言書をもとに、3月28日「待機児童解消に向けて緊急的に対応する施策について」が厚労省より示され、保育士の処遇改善やキャリア支援のほか、行政が設置主体ではない「企業主導型保育」の推進と5万人分の受け皿確保や土曜保育の集約化など、これまでにない斬新な取り組みが進められることとなりました。2017年度補正予算では月6,000円の給与アップ、さらに経験年数を考慮した待遇改善などが実現しました。保育の受け皿拡充、働きやすい環境づくり、働き方改革の推進は待機児童問題対策に不可欠だと思いますが、私は、一度仕事を離職しても、またキャリアを構築できる、再チャレンジ可能な社会の構築が重要だと思っています。私自身、息子が中学生になってから看護学校に進学し、看護師・保健師になりました。わが子が小さいうちは、手元で育てたいと考えているお母さんもおられるはずです。一度離職したら、生涯賃金が下がってしまう、これまでのキャリアが停滞してしまうといった焦りが、待機児童問題を深刻化させている要因のひとつに思えてなりません。
5月、京都府第三選挙区支部長に就任し、京都市伏見区に住まいを移しました。ずっと大好きだった京都、でも何の地縁も血縁もない京都での小選挙区活動が始まります。地元ではさまざまなイベントー清掃活動やパトロールに参加したり、夏祭りや運動会をまわったりと、少しでも多くの皆さんと触れ合い、ご意見などを伺っています。朝の街頭活動も、京都日程のときはほとんど毎日、続けています。5人から20人規模のミニ集会も随時開催しています。地域の課題解決や、さまざまな職業や団体の皆さまからのご要望・陳情への対応などを通して、視野が広がりました。これまでの医療・介護、子ども政策などの社会保障分野を私の政策の太い幹だとすると、都市農業、河川の整備、商店街の活性化、国防などの勉強会にも積極的に出席し、枝葉を広げていくようになりました。
2017年|持続可能な社会保障、誰もがより健康で活躍できる社会に
厚生労働委員会から環境委員会に所属が変わります。私の目指す「誰もがより健康で活躍できる社会」を構築していくためにも、食育の観点からも、環境保全の推進は重要です。環境省所轄の施設として、ごみ処理施設がありますが、これには、少なからぬ因縁を感じます。というのも、京都3区にも私の出身地である東京の江東区にも清掃工場があるからです。モノのあふれる時代、ごみ減量運動、リサイクル教育にかかわっていきたいと思います。
一億総活躍社会推進本部「誰もが活躍できる社会を目指すプロジェクトチーム」の主査として、「生活困窮者への就労支援」、「外国人留学生への対応」、「誰もが活躍できるようになるための税制」について提言書をまとめました。特に「生活困窮者への就労支援」は、私が事務局長を務め、議員立法を目指すソーシャル・ファーム議連の理念にも通じるものです。ソーシャル・ファームとは就労が困難な方々のための働く場所であり、提供体制を整備することで、経済的な自立と社会参加の実現を図るものです。
また、行政改革推進本部の社会保障・医療PTでは、残薬の量にかかわらず、その請求は病院施設の判断に任されバラバラだったことが判明しました。
私は社会保障・医療PTに所属していますが、行革推進本部は、ほかにもテーマによって様々なPT(たとえば日銀の金融政策について公表したり、人事院勧告に関する提言などをまとめたり)があります。これまであまり明るくなかった分野などについても視野が広がり大変勉強になるので、他のPTの会合にもできるだけ出席するようにしています。
地元でのミニ集会も、自治会単位のものだけでなく、テーマを絞ったもの、たとえば9割以上が中小企業である京都の地域特性を踏まえ、地域経済の活性化に向けた勉強会や農政の勉強会も企画しました。さらに女性、とりわけ子育て中のお母さんが、もっと気軽に参加できることを目指し、4月に開催した女性限定の集会「乙訓やよい会」は、託児所を設けてみました。私は「子育て支援が日本を救う」と思っています。「木村の集会は子連れ歓迎」のイメージが定着していけるよう、皆さまに理解いただきながら進めていきたいと思います。
再チャレンジ可能な社会、誰もがより健康で活躍できる社会を実現することで、持続可能な社会保障につなげていく。豊かで誇りある日本を、次世代に受け渡す責任を果たす。これが私の実現したいこれからの日本です。